九分九厘無益

有益な情報はほとんどありません

便利になるという意味

 情報化社会の発展で世の中はますます便利になってきている.例えばスマホ1つでほとんど何でもできるようになっていると言っても過言ではない.ネットショッピングで欲しい商品を見つけたらその数日後にはその商品が家に届いているだろうし,クレジットカードや銀行口座まで作ることができる.今回はその中の一例として地図を取り上げてみることにする.

 

 まずスマホで地図アプリを開いたとき,大抵の人は自分の位置情報が表示されるのではないだろうか.そして目的地を入力し,その案内に従って進めば難なく目的地に到達することができる.自分の位置が地図上に絶えず表示されていることで,自分が現在どの位置まで来たのかを瞬時に把握することができ,目的地に向かっている途中で道に迷うということも頻繁には起こらないであろう.この機能はとても便利なのだが,果たしてこのような地図アプリにおいて,地図そのものとGPS機能とどちらが重要なのだろうか.もっと噛み砕いて言えば,GPS機能のない地図アプリをどれほどの人が使いこなせるのだろうか.

 

 ここからは少し自分の話になるのだが,私の使っているスマホはかなり旧機種なものでGPS機能がうまく作動しない.そのため普段はGPS機能のない地図アプリを使って生活をしている.これは言うなれば紙の地図を電子版にしただけのものである.自分の位置が表示される訳でもないので目的地に行きたいときはまず自分の位置を把握し,次に目的地を地図上で探して(検索機能は使える)その目的地に行くにはどの道を通れば良いのかを自分で判断する必要がある.一応ナビ機能もあって道案内はしてくれるのだが,あまり使ったことはない.要するに地図を読んでいるのである.そもそもきちんとGPSの作動するスマホを未だかつて手にしたことがないので,他の人もこのようにして地図アプリを使っているのだと最近まで思っていたが,どうやらそうでもないらしい.どうりで私がスマホ片手にキョロキョロと辺りを見回している中,他の人たちは何の迷いもなくスマホ片手にスタスタと歩いていけるものである.

 

 さて本題に戻ろう.上記のように私の場合はGPS機能のない地図アプリでも特に問題なく使いこなせるのだが,今GPS機能付きの地図アプリを使っている人にGPS機能なし版を渡したら上手く使いこなせるのだろうか.言い換えればGPSに頼りきっている人たちが地図を読むことができるのだろうか.もちろん小学校で地図を読む授業とかもあるはずだし(少なくとも私の時はあった),GPS機能が出現したのはここ最近の話であるから昔の勘があるとかいう方々も多数いるだろう.しかしながら一度経験した事柄でもどんどん忘れて行くのが人間である.地図を読む能力を養っていかないと,すぐに地図が読めなくなるだろう.

いや,そんなことはないと考える人は携帯電話に登録されている知り合いの電話番号をいくつ覚えているだろうか.1度番号を登録しておけば次回以降は電話帳データからすぐに電話をかけることができる現在,自宅の番号と家族の携帯番号以外に覚える必要など無いに等しい.私が子どもの頃は自宅の固定電話の前に手書きの電話帳があって,それを見ながら電話をかけていた.そのため電話をかける前に電話番号を打ち込む(私の場合は黒電話だったので回すという表現の方が正しいが)作業をする必要があり,友人の電話番号くらいは覚えることができた.当然今はそんなことはしていないのでその友人の番号も覚えていないし,もし何らかの拍子で携帯電話内の電話帳のデータが全部飛んでしまったらもう電話をかけることができないなんてこともあるのかもしれない.

 

話を戻すが別に「いざという時(例えばGPSが上手く作動しないとき)に困らないために地図を読む能力を養っておくべきだ」ということを主張したい訳ではない.それなら電話帳は紙にすればいいし,少なくとも自ら選んで便利になっている訳だから(もちろん否応無く便利になったために自分の意志に反して退化してしまったと主張する人もいるだろうが)あらかた自業自得とも言えるだろう.そうではなくて,私が言いたいのは「ミスをすることを楽しむ」ということである.地図を見ながら自分はいったい今どこにいるのだろうかと迷い,周囲を見回して自分の居場所を把握しようとする.そうすることで何か分かることもあるだろうし,やっぱり何も分からないこともしばしばある.少し歩いてみて間違っていると分かったら引き返せばいいし,周りの人に道を尋ねるのでも良い.そうすることで道のりが記憶されることはもちろんのこと,(私だけなのかもしれないが)とにかく迷うことが楽しい.最近は人に道を尋ねられることはめっきり少なくなったが,人と人とのコミュニケーションは本来このようにして育まれて行くのではないだろうか.

 

 スマホという便利な機械の登場によって,知らず知らずのうちにミスをする機会や見ず知らずの人との対面によるコミュニケーションの機会が失われているとすれば,やはり便利になり過ぎるというのもいささか問題なのかもしれない.

 

追記

 調べてみると不便益システム研究所なるものがありました.便利な時代になったからこそ不便の良さを再発見しようとするものです.京都大学素数ものさしもこの不便益の一種らしいです.学問としてきちんと成立しているのはちょっと感動しました.

 

不便益システム研究所

 

素数ものさし

京大グッズ - 【B25】素数ものさし